阿部勇樹のJ1リーグ500試合出場を色々な角度から振り返る
10/1のリーグ戦での出場により阿部勇樹のJ1リーグ通算出場試合数が500に到達しました。今回はこの500という数字をいろんな角度から紹介していこうと思います。
阿部の経歴をサラッと追いますと、ジェフ市原(現・千葉)の下部組織に所属していた彼は、1998/8/5に16歳という若さでJリーグデビュー。相手はガンバ大阪で場所は万博記念競技場。2007年に浦和レッズへ移籍。2010年途中で一度イングランドのレスターへ移籍し、2012年シーズンから復帰。そのまま現在に至っています。
よってJ1での出場は千葉と浦和のみ。J2での出場経験はありません。もうすでに浦和での出場試合数が千葉を上回っています。
チーム別出場記録
「シーズン別」ではなくあえて「年齢別」で出場試合数をまとめて見ました。
年齢別出場記録
10代にしてレギュラーをつかんだ阿部は19歳の時に負傷の影響で長期欠場となります。29-30歳のところは渡英している頃ですので、以降は大きなケガなく出場試合数を増やしていきました。
続いて監督別の出場記録です。該当試合にて登録された監督をもとに計算していますので、暫定監督なども入ります。
監督別出場記録
千葉、浦和ともに外国人監督が多かったので日本人監督はわずか2名で3試合になりました。日本人2名はともに2000年シーズンのコーチですかね。
出場試合数トップは現在の監督でもあるミハイロ・ペトロヴィッチ(以下ミシャ)。ただゴール数は千葉のイヴィツァ・オシム監督の頃の方が上ですね。阿部にはフリーキックという武器がありますが、千葉時代は流れの中からのゴールも多かったかと思います。ミシャのサッカーにおける阿部の役割を考えるとそう簡単には攻め上がれませんから、ゴールが減るのは仕方ないでしょう。
出場した試合の主審でサマリーしたのが以下の表です。多いのでトップ10だけにしました。歴代の主審が並んでいます。
主審別出場記録
ちなみにこれまでの警告・退場の種別をまとめるとこのような感じに。
警告退場理由
警告が多い選手とは思いませんがポジション上、そこそこの数にはなってしまいます。通常、警告理由は反スポーツ的行為とラフプレーが中心で、他によくあるのが異議、繰り返しの違反、遅延行為となりますが、繰り返しの違反による警告がないという点は彼の特徴と言えるでしょうか。繰り返しの違反はだいたいの場合、それに至るまでのシーンで一回主審から注意が入るケースが多いかと思いますので、それに対してきちんと対応しているのでしょうね。
次に阿部と同じ試合に出場していたチームメイトをまとめてみました。
同じ試合に出場したチームメイト
最も阿部と一緒に試合に出たのは鈴木啓太。ともに浦和でボランチを担い長く不動のポジションでしたね。浦和の出場試合数が多いため浦和の主力メンバーが上位にいますが、千葉からはやはりこの人・坂本將貴。そして茶野隆行も9位に入りました。
最後に対戦相手の方にも目線を向けてみました。下表はJ1リーグにおいて阿部が対戦したことが多いチームです。
対戦相手別の出場記録
ずっとJ1ですので降格経験のないチームが上に来ますが、その中からトップは名古屋になりました。名古屋が降格しなければ継続されるはず…。横浜FMとの対戦での勝率は低めで、逆にFC東京は高めとなっています。これはチームの対戦成績も影響しているでしょう。
500試合出場はとても喜ばしいことですが、阿部にとっては一つの通過点。今もレギュラー出場中なのでさらに出場試合数を増やしていくでしょう。今後の活躍も楽しみにしています。
阿部勇樹 歴代記録
J1リーグ以外の記録も含まれています
デビュー戦 98/08/05 ガンバ大阪 - ジェフユナイテッド千葉
出場記録内の勝敗ですが、PK戦によるものは引き分け扱いとしています。