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サッカーにハマるまでの過程のお話

2017-02-23 19:34

今年最初のブログということで2017年もよろしくお願いします。Jリーグ開幕が差し迫ってきたタイミングですが、たまにはタイトルの通り自分の話でも書いてみようと思います。ただの自分語りではありますが、どのサッカーの大会も共通して「お客さんを集めたい」という思いがあると思います。そういう意味でも今サッカーにハマっている人がなぜそうなったのかを書き残しておくことは結構重要なのではないかと思います。年代も状況も違うので参考にならない点が多いでしょうが、まとめてみることにしました。

前提として書いておくと自分は学生時代サッカー部には所属していません。また、サッカーに関しては知人から影響を受けたという点がありません。

ざっくりと流れは以下のようになります。

①1993Jリーグを知る
②1994ワールドカップを知る
③初めてのサッカー現地観戦の感想は「もう行きたくない」
④1995-2000 Jリーグから離れた時の記憶
⑤サッカーの存在を繋いだマンガとゲーム
⑥2000-2001 物凄い勢いでサッカーにハマっていった経緯
⑦まとめ

自分の中でサッカーの最古の記憶を探ると92年以前は全く出てこないので93年のJリーグ開幕が最初のようです。多くのメディア、というかテレビが取り上げた影響でしょう。地元にJチームはなく特定チームを応援するまではいきませんでしたが、子供心をくすぐったのかチアホーンは持っていました。鳴らしても怒られるだけでしたが。ちなみに自分は子供の頃はゲーム機を持ってなく代わりにパソコンで遊んでいました。ベーシックでしたが、簡単なJリーグのチームの選手一覧を表示するプログラムを作った記憶があります。子供の頃からそういうのは好きだったようです。

Jリーグからサッカーを知り、すぐワールドカップの存在を知りました。子供向けっぽい歴代のサッカー選手が載った本を買ってもらって、ペレ=王様、ジーコ=神様みたいなことを覚えました。そんな中迎えた94年のワールドカップ。自分の中にあるこの大会の記憶は決勝のPK戦が全てです。買った本にはロベルト・バッジョのことも書いてありました。そして決勝まで彼の活躍があって勝ち抜いたことも知ってました。そんな凄い選手が、なぜ最後のPKで上に外したのか。あの時のバッジョの後ろ姿は忘れられません。

94年も引き続きJリーグは見ていました。この年は新たに参入したベルマーレ平塚(現湘南)が好きだった記憶があります。経緯は覚えていませんが、おそらくチームカラーの影響でしょう。緑と青系が好きだったので。余談ですがSoccerD.B.のサイト全体のカラーは子供の頃好きだった青緑系を採用しています。当時の平塚の中では岩本輝雄が好きで、左利きの選手はなんかカッコいいと初めて思ったのが彼でした。
とまぁここまではサッカーに対してポジティブでしたが、一気に状況が暗転します。

94年の終わり頃か95年の頭辺りだったかと思いますが、初めてサッカーの試合を現地で見る機会がありました。それはJリーグのチームが出る試合でしたが公式戦ではありませんでした。両チームとも地元に訪問しての親善試合のような感じです。同行者は母親のみ。で、その帰りに僕は「もう絶対サッカー見に行かない」と強く思う事態になっていました。

理由はいくつかの悪条件が重なった結果であり、今思えばしょうもない内容です。

まず寒かった。通常の防寒はもちろんしていましたが風も強く、且つ親も含め観戦経験がなかったことから通常よりも防寒を強めることもしていませんでした。この経験によりシーズン移行には反対の立場です(笑)。

2番目に帰りのバスが凄く混んでいたこと。これも当たり前なのですが(笑)。ただこの時の外出は父親の運転によるものが多く、父親は裏道もいろいろ知っていてすぐそっちを選択していたので、外出移動時に混雑するという経験がほとんどありませんでした。

3番目は、観に行ったスタジアムはトラック付きの競技場で観た席はゴール裏でした。それはこれまでテレビで見たサッカーの世界とは全く違うもので、何やっているのか全く分からず、この試合の内容に関しては全く記憶がありません。

これが100%の原因というわけでもないのでしょうが、95年から再びサッカーにハマるまでおそらくJリーグは1試合も見ていないかと思います。この頃はプロ野球にハマってスポーツニュースもよく見ていましたが、J絡みだとフリューゲルス消滅というニュース以外は特に記憶に残るものはありませんでした。チャンピオンシップ復活の際に関心を集めるためという理由があったかと思いますが、チャンピオンシップがあろうがなかろうが興味なければ見ないっていうのを自ら体現した期間でしたね。SoccerD.B.で過去の記録を作る際も93、94年は「懐かしい」という感情がありましたが、95年からしばらくは「誰?」って感じになったので、それくらい変化が大きいようです。96年に行われたサントリーカップについてはSoccerD.B.でデータを作るまで存在すら知りませんでした。ただ日本代表に関しては98年のワールドカップ予選終盤と本大会の試合は追っていました。96年のアトランタ五輪も多少の関心は持っていたはずです。

Jリーグからは離れましたがサッカーとは繋がっていました。ちょうど93年くらいだと思いますが週刊少年ジャンプの購読を始めていて、最初は読むマンガを限定していたのですが途中から色々読むようになり、そんな中94年からキャプテン翼のワールドユース編の連載が始まりました。後に全巻購入しますが当時は無印のキャプテン翼をまだ読んでなかったので、初めてキャプテン翼シリーズに触れたのがこの頃。Jリーグを見なくなった95年以降もマンガは普通に読んでいたので、過去のキャプテン翼も読んでいくうちにやっぱワールドカップってすげぇんだなと思ったものです。97-98年の日本代表を追ったのにもキャプテン翼を読んだ影響はあるでしょう。

ちょうどその97年辺りに初めて我が家にゲーム機(プレステ)が来まして、すぐサッカーゲームを買いました。ゲームタイトルは「ウイニングイレブン」。キャプテン翼を読んで「日本をワールドカップで優勝させる」というのを体現したくなったのでしょう。ウイイレシリーズはその後も長い間買っていましたが、00年くらいまではひたすら日本代表を使ってカップ戦やリーグ戦で優勝することのみを目的にゲームをしていました。

キャプ翼とウイイレ。このメジャータイトルがサッカーの存在を繋ぎ止めてくれました。

サッカー=マンガorゲームというステータスから激変したのが00年。きっかけはたまたま点けていたテレビで、ローマに移籍していた中田英寿のペルージャ戦のゴールを見た時でした。

おそらくシーズン終了後の特集みたいなタイミングでしょう。これまでも中田の活躍はニュースで見ていたはずなのですがなぜかこの時は感銘を受け、ちょうどその後にシドニー五輪があったのでそのまま五輪代表を追いました。壮行試合で本山がゴールを決めた試合がこの代表の最初の記憶です。シドニー五輪は楽しかったですね。最後のアメリカ戦だけ用事あって見れなくてPK戦で終わってしまいましたが、これまでで一番がっつりとサッカーの中継を見た気がします。日本代表以外のチームにも興味を持ち始めたのもこの大会から。この後に出たウイイレが五輪仕様だったのですぐ購入。そのウイイレでマスターリーグというゲームモードがあることを知り遊び始めたところでクラブチームにも興味を持ちました(マスターリーグはこの前作であるウイイレ4から入っていましたが、まったく関心がなくずっと日本代表で遊んでいました)。

01年、クラブチームの試合はスカパーに入れば見れることを知りますが、当時住んでいたところはスカパーを付けられず、実家のスカパーでサッカーセットに入ってもらって、自分が指定したカードを親に録画してもらってビデオテープを送ってもらうというやり方で試合を見るようになりました(02年に引っ越す時はスカパー見れるところを最大条件にしていました笑)。一人暮らしになって時間もできたことと、好きになったものはとことん追い掛ける性格から、スカパーで放送するあらゆる大会を録画してもらったので、海外リーグはもちろん、当時中継していたJ、MLS、K辺りもいくつか見るようになりました。ここで久しぶりにJの文字が出て来ましたね。00年のJのチャンピオンシップはほぼ記憶にありませんが、01年の小笠原のフリーキックはよく覚えています。見なくなって約6年経ちJリーグが視界に帰って来ました。

まとめに入りましょう。最初に書いていますが自分の場合サッカーにハマるにあたって「人」を経由していません。家族、友人、知人からサッカーを薦められたことはありません。昔の友人に会うと僕がサッカーにどっぷりハマっていることに驚かれます。何かにハマる際に知人を経由するケースはよくあると思いますが、これがない場合はやはりポイントとなったのは「テレビ」でしょう。そして「マンガ」も入りますが、ここでは週刊少年ジャンプに限定させて頂きます。両者のポイントは大衆が見るもので色々なジャンルが混ざった媒体であることです。もし93、94年の段階でサッカーを見るためにお金が必要だったら見ていないでしょう。マンガもいきなりキャプテン翼のコミックスを買うという行動には至らないでしょう。ジャンプ自体はもちろん有料なのですが「マンガが好き」という点から入ってその中の一つをさらに好きになるという流れは、最近で言うと音楽フェスに行き「知らないアーティストをなんとなく聴いてみたらハマった」という流れに近いのかもしれません(お金の掛かり方は別として)。

テレビとマンガが入り口として、深みにハマらせたのはゲームとスカパーと言えます。まぁスカパーもテレビですが。あとは一人暮らしになって時間の使い方が大きく変わったのもポイントの一つですね。

スカパーはずっと契約していますが、一番礼を言いたいのは02年のワールドカップの後の何もない期間にU-21の欧州選手権を放送してくれたことです。実際の大会はワールドカップ前に終わっていたのですが、ワールドカップで燃えてもっと試合を見たいという衝動に駆られているタイミングで、Jはやっていましたが欧州の試合はなく物足りない気分になっていました。そんな時に同大会の放送をやってくれたのでおかげでガッツリ見れまして、その大会に出た選手は結構思い入れが強いです。何らかの大会で盛り上がった後にすぐ別の大会の試合があるというのは結構重要なことです。出ないとすぐ気持ちが途切れてしまいますからね。なので、Jのチャンピオンシップ復活の際は、仮に盛り上がってもその後がすぐオフという時点でサッカーへの関心を継続できないのではと思っていました。

ただスカパーの場合サッカーセットに入る必要があります。一ヶ月数千円はなかなかサッカー初心者の入り口としてはハードルが高いです。そういう意味ではDAZNの方が良心的ですが、似たような問題は残ります。DAZNの魅力はなんといってもコンテンツの多さ。とあるスポーツ目的で加入した方が別のスポーツにハマるというケースが増えるのではないかと思います。こういったケースはこれまでもJSportsやWOWOWで起きていると思いますが、さらに加速することを期待しましょう。

自分の経緯を書きましたが、「テレビ」と「マンガ(ジャンプ)」という入り口はもう過去のものですし、93年のような「Jリーグ開幕」という大イベントはそう簡単には出て来ません。一昨年辺りでしょうか、Jリーグを知らない大学生がいることにJのお偉いさんがビックリしていたようですが、その反応にビックリしました。自分も93年の開幕というイベントがなければ知らないまま生きていた可能性が高いからです。昔に比べ今はコアな趣味に走りやすい時代になりました。その分「入り口」に多様性が求められることになります。

94-95の冬に「サッカーを見に行きたくない」と思ったあの日から20年後にはSoccerD.B.を運営しながら年間50試合くらい現地観戦しつつ、各大会の中継を見るために月間1万くらい視聴費を払うまでになりました。人生分からないものです。ちなみに、現地観戦が日常化してきたのはここ数年になってからです。テレビ中継を見るスタイルから現地観戦に変わってきた経緯については機会があればまたどこかで書こうと思います。

長くなりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました。

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2020-04-05 12:26 SoccerD.B.を作った理由